「天馬の凧は大きかった・・?」

ロケ応援団

2006年07月18日 21:22

天馬が社会科の授業中、ささいなことで言い争う。
「昔、お父さんは、でっかい凧を作って揚げたんだ。」
と言い、クラスメイトから嘘つきだと言われ、孤立する。

幼かった天馬の記憶に残る凧は、とても大きなものだった。

しかし、帰宅し引越し荷物の中から取り出した凧は、小さくて
みすぼらしいものだった。


●自分も昔、小さい頃水遊びをしたり魚取りをした大きな川を、
大人になってから訪ねてみたら、あまりに小さな小川なので
ビックリした経験がある。
小さな頃の楽しかった思い出は、大きなものとして、記憶して
しまうようだ。

●今回の撮影で、久しぶりに、中田島砂丘へ行った。

20年ぶりかも知れない。
昔は砂山がいくつも続き、その砂山をいくつも越えなければ
海にたどり着けなかった。

しかし、今は砂丘が小さくなり、海は目前に広がっていた。

記憶の中の砂山が大きかっただけでなく、砂丘の侵食が進んで
いたのだ。天竜川にできた幾つかのダムが、原因だ。

僕たちは天竜川の水を制すると同時に、砂丘を失おうとしている。


●この砂丘は、僕たちだけのものじゃない。

天竜川の河口から砂丘にかけては、野鳥の生息地であり、
渡り鳥の飛来地でもある。

そして今頃から始まる、アカウミガメの産卵地でもある。

アカウミガメには「母浜回帰」の習性がある。
小亀が生まれた浜に戻るのは20年後だとのこと。

小亀が戻る20年後、この浜は、どうなっているのか?
記憶の中の浜はもっと大きかったと、亀に思われるのだろうか?

●アカウミガメは、浜松市の「市指定文化財」でもある。

この砂丘が続く浜は、アカウミガメが産卵できる、
「日本の北限」にもなっている。

by:影山。